夜遅くまで勉強してちょっと寝坊した土曜日。ベッドで携帯をチェックするけれどメールは届いていない。「ふぅー」小さなため息をついて窓に目をやった。すっかり明るくなった空が見えた。シャワーを浴びて着替えを済ませてから、リビングに行く。お母さんが焼いてくれたトーストをかじりながら、ぼうっとテレビを見ていた。芸能界のゴシップが流れている。『続いての話題ですが、芸能界に大物カップルが誕生!?』若い女性が軽快な口調で話している。画面に映し出されたのは、赤坂さんだ。内容が気になるところで一度コマーシャルに行ってしまった。私の心臓はドキドキしている。落ち着かない気持ちのままコマーシャルが終わるのを待っていた。再び番組には女性MCが映し出される。『COLORの赤坂さんが女優の保坂佳乃さんと交際報道が出ました。二人はドラマで知り合って意気投合したそうで……』――赤坂さん……彼女できたんだ。体中に青くて冷たい液体が流れていくような感覚になった。しかも、美人で人気のある女優さんと付き合っているのか……。二人はすごくお似合いだ。お母さんがテレビを見た。「あらー、赤坂さんに恋人が出来たのね」「ほんと! お似合いのカップルだね」恋心を自覚している私は、告白すらしていないのに失恋した気分になった。食欲が一気に奪われたが、食べないとお母さんが心配してしまうので、平気なフリして完食した。
自分の部屋に戻って放心状態でいると、朋代が心配して連絡をくれた。テレビを見たらしく、私が落ち込んでいると思ったらしい。私は一人で部屋で落ち込んではいけないと思い、家の近くの公園で落ち合って、ベンチに並んで座った。「大丈夫……? 久実」心配そうに眉毛を寄せている朋代。天気がいい。せっかくのお天気日和なのに……。私の心はどんよりとしている。「うん……意外に平気みたい。私なんて、赤坂さんに釣り合わないし。ずっと恋愛話とか聞いたことなかったから……祝福の気持ちが強いかも」少しだけ強がったけれど、嬉しい気持ちもあった。赤坂さんが幸せで暮らしていれば嬉しい。でも、髪の毛をバッサリ切りたい気分だ。言葉を交わさないでぼんやりとする。公園で遊んでいる子どもの声が耳に届く。風が時折強く吹いて、髪の毛を見出していく。足元でせっせとアリが歩いている。太陽の日差しが温かくて……泣きそうになった。顔を上げて立った私。「生きる希望をくれた赤坂さんには、いっぱい幸せになってもらいたい」「久実って、強いね」「そうかな」私は強くなんかない。我慢している。本当はすごく弱い人間だ。強くなるために、病を患ったのかもしれないと思う。元気にしているように見せるのが上手いだけなんじゃないかな。「朋代……。励ましてくれてありがとう」「いつでもメールしてね」「うん。また学校でね」朋代と別れて、美容室へ行った。長い髪の毛が好きだったけれど……髪の毛をバッサリ切ってもらった。気持ちをスッキリさせたかったのだ。鏡に映るボブヘアーになった私はちょっと大人っぽく見える。化粧をして大人っぽい服を着ても佳乃さんには勝てないけれど……。
合わせ鏡をしてくれる可愛い美容師さんが「どう?」って聞いてくるから笑顔で「ありがとうございました」とお礼をした。美容室を出ると夕方になっていた。首がスースーする。短くなった髪の毛に触れてため息をついた。お母さんもお父さんも驚いてしまうかもしれない。トボトボと歩き出す。今度、赤坂さんに会ったらなんて言われるかな。短い髪の毛は似合わないって言われないかな。そして、彼女さんを紹介してくれるだろうか……。私なんかに紹介する筋合いないか……。自虐的な気持ちになった。前向きにならなきゃ……。
あの報道があってから一週間後。違う報道が流れて、それはだんだんと白熱していた。佳乃さんに子どもがいると報道されたのだ。誰の子なのかとネットでもテレビでも流れていて、学校でも噂話でいっぱいだった。昼休みに弁当を食べていると聞こえてくる。「佳乃の子どもって赤坂の隠し子って噂だよねぇー」「まーじー? ショックなんだけど」赤坂さんに隠し子なんているはずがない。何度も家に遊びに行ったけど……そんな気配なかったし。でも、私の知らない赤坂さんがいるかもしれない。複雑な気持ちのままご飯を食べていた。私が落ち込んでいるのを朋代は気がついていて、気を使わせているのも申し訳ない。赤坂さんの恋愛事情なのだから、私が気にすることじゃないのはわかっている。元気をなくしている場合じゃないのだ。微笑んで大丈夫と伝えた。それから、さらに二週間が過ぎていた。赤坂さんにはメールも電話もしないまま、私は日常を過ごしている。赤坂さんから連絡もない。私に関係のないことなのだからわざわざ連絡は来ないかと思うけど、どこかで待っている自分がいた。来るはずないのに……私って本当にバカ。
そんな中、新たな報道が出て世間を騒がせていた。私がその報道を知ったのは、学校帰りに立ち寄ったコンビニにある週刊誌を見たからだ。『赤坂。佳乃が既婚者と知って不倫を持ちかけた熱い夜』その雑誌を握る手は震えていた。さすがに、赤坂さんはそんなことをする人じゃない。適当な嘘を平気で書くマスコミに怒りがこみ上げてきた。きっと、今一番傷ついているのは、赤坂さんに違いない。『仕事がキャンセルされ開店休業状態。COLORも解散危機!』赤坂さんを悪者に仕立てるなんて最低だ。雑誌を戻して外に出る。夕方なのに蒸し暑くて初夏を思わせる季節の中、私は赤坂さんのマンションへ走って向かった。途中で心臓が苦しくなって額に汗を浮かべつつ立ち止まる。その後は体調に気をつけてゆっくり歩いた。赤坂さんのマンションへ辿り着くと、ものすごい数の報道陣が待ち受けていた。恐ろしくなって踵を返す。私が赤坂さんと友人関係なのは誰も知らない事実だから、追いかけられることはないけど怖くなった。少し歩いて離れた場所についた時、私は赤坂さんのことが心配になって電話をした。電柱に寄りかかって呼吸を整える。五コール鳴ったところで電話に出てくれた。「赤坂さん……大丈夫? マンションすごいいっぱいマスコミが」『久実、来てくれたの?』久しぶりに赤坂さんの声を聞いた。元気そうに振舞っている。無理をしているのだろう。「……心配になって」『大丈夫。ホテルに泊ってる。缶詰状態。……ってか、久しぶりだな』「……うん」『受験勉強、頑張ってるか?』いつも通りに話してくれる。赤坂さんにとって私は赤坂さんが勇気づけるだけの対象なのだろうか?私は赤坂さんを元気づけることはできないのかな……。空を見上げると太陽は沈み薄暗くなっていた。本当はこんな道端で電話している場合じゃないけど、赤坂さんのことが心配だった。「ホテル……どこなの?」『は?』「明日、休みだから会いに行く」『…………マジで?』「受験生だって息抜きしたいの」『………△△ホテル。ロビーに着いたら電話くれ。何時頃になる?』「お昼くらい」『了解。つーか、俺の居場所、誰にもバラすんじゃねぇーぞ』「当たり前でしょ! じゃあね」電話を切ると私は深い溜息をついた。
次の日の朝。台所でお弁当を作っていた。「あら、どーしたの?」お母さんが不思議そうな顔をして尋ねてきた。「友達と公園ランチするの」はじめて嘘をついた。「あ、味見して?」煮物の人参を菜箸で取ってお母さんに渡す。あっついと言いながら食べた。「美味しいじゃない」「よかった」自分の分は薄めに作り、赤坂さんのは少し味をつけた。ホテルのご飯だけだと飽きてしまうだろうと思って。ありがた迷惑かもしれないけれど……好きだと思う人の喜ぶ顔が観たかった。「外、暑いから気をつけるのよ」「うん。日陰で食べる。あまり長く外にいないようにするから」「最近は、苦しくなることない?」走ったせいで苦しくなったことは言わないでおこう。余計な心配をかけたくないから。「大丈夫。ありがとう」惣菜を弁当箱に詰めつつ、お母さんに返事をした。いつも作ってくれるお母さんの苦労が少しわかった気がする。「よし、できた」バッグに入れて外出準備をして玄関に向かう。お母さんが近づいてきて「気をつけなさいね」と言ってくれた。サンダルを履いて立ち上がった私はお母さんを見つめた。「いつもお弁当作ってくれてありがとう。行ってきます」
教えてくれたホテルに向かう途中。どうやったら赤坂さんを励ませるのかと考えていた。気張る必要はない。いつも通り接しようと思っていた。たとえ……赤坂さんがCOLORを辞めさせられたとしても、私はいつまでも彼のファンで居続ける。そんな決意だった。電車を乗り継いで到着したホテルは豪華な外観の一流ホテルのようだった。ホテルのロビーに入るのも躊躇してしまい、外で電話をかけた。教えられた部屋番号になんとか辿り着いた私は、Tシャツにショートパンツと言うラフな格好をしたことに後悔をしていた。だって立派すぎるんだもん。このホテル……。チャイムを押すと扉が開いた。中から出てきた赤坂さんは、にこっと笑って招き入れてくれた。顔を見るだけで込み上げてくるものがあったけど、我慢して笑顔を作った。「お邪魔しますー」ベッドとテーブルと椅子しかないシングルルームだった。荷物が散らかっている。「椅子に座って」言われた通り私は椅子に座らせてもらった。赤坂さんはベッドに腰をかけて私を見つめる。「ボブにしたんだ」「……あ、うん」赤坂さんに恋人ができたと知ってショックを受けて切ったなんて言えない。「似合う。すごく可愛い。大人っぽくなったし」「ありがとう」お世辞だとわかっていても恥ずかしくて、顔に熱が集中する。顔を仰ぎたい衝動に駆られた。「俺の報道、知って驚いただろ?」自嘲気味に言ってクスッとうつむいて力なく笑っている姿を見ると胸の奥がズキンと痛んだ。「もう……久実に呆れられて連絡も来ないかと思った。お前って生粋のファンなんだな」「……だって、赤坂さんが結婚している人に手を出すなんてありえないって思ったもん。きっと、真剣に佳乃さんのことを好きになったんだよね。何か事情があって結婚している人を好きになったんだと思う」赤坂さんは立ち上がって窓のほうに行く。そしてビルで囲まれた景色を見ていた。「結婚しているって知らなかったんだ。だから……本気で愛してた」好きな人の恋愛話を冷静な顔で聞くのは心臓に悪い。切なくてとても苦しい。
「俺と佳乃の密会を撮られて……佳乃の周りにもいろいろ取材が入り、結婚していて子どもいることがバレたんだ。佳乃は十七歳で子どもを産んでいたんだって。その事実を事務所が隠していたらしい」こちらに向いて窓に背をつけたまま腕を組んでいる赤坂さん。「佳乃は謝っていた。気がつけば恋に落ちていましただってさ。笑えるだろ? 子どもの母親失格だよな」笑いながら投げ捨てるように言っているけど、心には深い傷を負ったに違いない。「まぁ……子供がいても誰かのことを好きになることは否定しないけどさ。でも俺は自分に守る存在がいるなら、たとえ恋をしてもその心は押し殺して大事なものを守る」「そういうと思った」「しまいには俺のせいになってる。佳乃の事務所は力があるからな」「……COLORは解散しないよね?」「わからない。するつもりはないけど」「赤坂さんのファンがいなくなっても、私一人になっても応援し続けるから。負けないで」どうしてなのかわからないけど涙ぐんでしまう。赤坂さんは近づいてきて頭を撫でてくれた。「ありがとな。久実」優しい笑顔を向けられると、胸にある恋心がどんどん膨れ上がっていく。いつか破裂してしまわないか非常に心配だ。気持ちを落ち着かせようと話題を変える。「あのね、ホテルのご飯だと飽きちゃうと思ってお弁当を作ってきたの。あまり自信ないけど食べてみて」「マジで? ……気遣いが嬉しい」紙袋からお弁当箱を取り出してテーブルに置く。そして蓋を開いて見せると赤坂さんは「すげぇウマそう」と言って笑ってくれた。テーブルをベッドに寄せて赤坂さんはベッドに腰をかけた状態で食べることにし、箸を渡す。「いただきます」どんどん食べ物が口の中へ消えていく。彼女になれなくてもいいから、こうしてたまに二人きりで過ごせる時間があればいい。赤坂さんが赤坂さんらしく、元気に暮らしてくれたら私も幸せだ。「マジでうまいわ」「よかったら私の分もどうぞ。私のやつは味が薄めになってるけど」「サンキュー」彼は綺麗に食べ終えた。「ごちそうさま」「いえいえ」「たっぷりお礼しないとな」「いいよ、そんなの。たまには甘えてください」赤坂さんは力なく笑った。苦しみを少しでも減らしてあげたいよ……。
「赤坂さんのことが好きでも……両親の言うことを聞かなきゃって思って」「ってかさ、なんで早く言わなかったんだ?」苛立った口調に怖気づきそうだった。「考えて悩んで……私もそう思ったから。それに、これ以上迷惑をかけちゃいけないって思ったの」「迷惑だと? ふざけんじゃねぇぞ」乱暴に私を抱きしめた。赤坂さんの胸に閉じ込められる。かなり早い心臓の音が聞こえてきた。「俺のこと信じろって」「赤坂さん。ごめんね」「バカ」涙があふれ出し、私は赤坂さんにしがみついた。赤坂さんはもっと強く私を抱き止めてくれる。「でも、好きな気持ちには勝てなかったの」「………」体を起こしてキスをされた。すごく優しいキスに胸が疼く。私のボブに手を差し込んで熱いキスに変わっていく。舌が絡み合い、濡れた音が耳に届いた。唇が離れると赤坂さんは今までに見たことない瞳をしている。「久実、愛してる」「……私も、赤坂さんのことが好き」「俺もだ」「今まで本当にごめんなさい」「大好きっ、赤坂さん、大好き」「うん。俺も」私も赤坂さんのために自分のできる限り尽くしたいと思った。守ってもらうだけじゃなくて、守ってあげたい。頭を撫でられて心地よくなってくる。「両親に認めてもらえるように……頑張るから」赤坂さんはつぶやいた。だけど、すごく力強い言葉に聞こえた。「近いうちに会いに行きたい」「うん………」「やっぱりさ、思いをちゃんと伝えて理解してもらうしかないから」「そうだね……」「俺はどんなことがあっても久実を離さないから。覚えてろよ」頼もしい赤坂さんに一生着いて行く。私は赤坂さんしか、いないから。きっと、大丈夫。絶対に幸せになれると思う。私は赤坂さんのことが愛しくてたまらなくて、自分から愛を込めてキスをした。エンド
そして、四日になった。前日から緊張していてあまり眠れなかった。化粧をして髪の毛をブローした。リビングにはお母さんがいて、テレビを見ていた。「友達と会ってくるね」「気をつけてね」「行ってきます」家を出ると、まだ午前の空気は冷たくて、身震いした。手に息を吹きかけて温める。電車に向かって歩く途中も緊張していた。ちゃんと、思いを伝えることができるといいな……。赤坂さんに恋していると気がついたのはいつだったんだろう。かなり長い間好きだから、好きでいることがスタンダードになっている。できることなら、これから一生……赤坂さんの隣にいたい。マンションに到着し、チャイムを押すとオートロックが開いた。深呼吸して中へ入った。エレベーターが速いスピードで上がっていく。ドアの前に立つといつも以上に激しく心臓が動いていた。チャイムを押すと、ドアが開いた。「おう」「お邪魔します」赤坂さんはパーカーにジーンズのラフな格好をしているが、今日も最高にかっこいい。私は水色のセーターとグレーの短めのスカート。ソファーに座ると温かい紅茶を出してくれて隣にどかっと座った。足はだいぶ楽になったらしくほぼ普通に過ごせているようだ。「久実が会いたいなんて珍しいな」「うん……。話したいことがあって」すぐに本題に入ると、空気が変わった。赤坂さんに緊張が走っている感じだ。「ふーん。なに」赤坂さんのほうに体ごと向いて目をじっと見つめる。何から言えばいいのか緊張していると、赤坂さんはくすっと笑う。「ったく、何?」緊張をほぐそうとしてくれるところも優しい。赤坂さんは人に気を使う人。「私……、赤坂さんのことが好きなんです」少し早口で伝えた。赤坂さんは顔を赤くしているが、表情を変えない。「うん……。で?」「好きなんですけど、交際するのを断りました。その理由を話に来たんです」「……そう。どんな理由?」しっかり伝えなきゃ。息を吸って赤坂さんを見つめた。「両親に反対されています」「え、なんで?」「赤坂さんは恩人ですから……。 だから、対等じゃない……から……」頭の後ろに片手を置いて困惑した顔をしている。眉間にしわを寄せて唇をぎゅっと閉じていた。
年末になり、赤坂さんは仕事に復帰した。テレビで見ることが多くなり、お母さんと一緒に見ていると気まずい時もあった。四日に会う約束をしている。メールは毎日続けているが会えなくて寂しい。ただ年末年始向けの仕事が多い時期だから、応援しようと思っている。私も年末年始は休暇があり、仕事納めまで頑張った。そして、両親と平凡なお正月を迎えていた。こうして普通の時を過ごせることが幸せだと、噛み締めている。今こうしてここにいるのも赤坂さんと両親のおかげだ。心から感謝していた。『あけましておめでとうございます。四日、会えるのを楽しみにしています』赤坂さんへメールを送った。『あけおめ。今年もよろしくな。俺も会えるの楽しみ』両親が反対していることを伝えたら赤坂さんはどう思うだろう。不安だけど、しっかりと伝えなきゃいけないと思った。
「……美羽さん。ありがとうございます」「ううん」「私も赤坂さんを大事にしたい。ちゃんと話……してみます」「わかった」天使のような笑顔を注いでくれた。私も、やっと微笑むことができた。「あ、連絡先交換しておこうか」「はい! ぜひ、お願いします」連絡先を交換し終えると、楽しい話題に変わっていく。「そうだ。結婚パーティーしようかと大くんと話していてね。久実ちゃんもぜひ来てね」「はい」そこに大樹さんと赤坂さんが戻ってきた。「楽しそうだね」大樹さんが優しい声で言う。美羽さんは微笑んだ。本当にお似合いだ。「そろそろ帰るぞ久実」「うん」もう夕方になってしまい帰ることになった。「また遊びに来てもいいですか?」「ぜひ」赤坂さんが少し早めに出て、数分後、私もマンションを出た。赤坂さんとゆっくり話すのは次の機会になってしまうが、仕方がない。本当は今すぐにでも、赤坂さんに気持ちを伝えたかった。二日連続で家に帰らないと心配されてしまうだろう。電話で言うのも嫌だからまた会える日まで我慢しようと思う。私は、そのまま電車に向かって歩き出した。
急に私は胸のあたりが熱くなるのを感じた。「占いがすべてじゃないし、大事なのは二人の思い合う気持ちだけど。純愛って素敵だね」私が赤坂さんを思ってきた気持ちはまさに純粋な愛でしかない。「一般人と芸能人ってさ……色んな壁があって大変だし……悩むよね。経験者としてわかるよ」「…………」「でも、好きなら……諦めないでほしいの」好きなんて一言も言ってないのに、心を見透かされている気がした。涙がポロッと落ちる。自分の気持ちを聞いてほしくてつい言葉があふれてきた。「赤坂さんに好きって言ってもらったんですけど、お断りしたんです」「どうして……?」「心臓移植手術が必要になって、多額な金額が必要だったんです。赤坂さんが費用を負担してくれて私は助かることが出来ました。両親が……」言葉に詰まってしまう。だけれども、言葉を続けた。「対等な関係じゃないからって……。お父さんが、財力が無くてごめんと言うので……」「ご両親に反対されてるのね」深くうなずいて涙を拭いた。「私を育ててくれた両親を悲しませることができないと思いました。それに、健康じゃないので赤坂さんに迷惑をかけてしまうので」うつむいた私の背中を擦ってくれる美羽さん。「そっか……。でも、赤坂さんは、誰よりも久実ちゃんの体のことは理解した上で好きって言ってくれたんじゃないかな」「…………」「赤坂さんに反対されていることは言ったの?」「いえ……」「久実ちゃんも、赤坂さんを大事に思うなら。赤坂さんに本当のことを言うほうがいいよ。赤坂さんはきっと傷ついていると思う。好きな人に付き合えないって言われて落ち込んでるんじゃないかな」ちょっときついことを言われたと思った。だけど、正しいからこころにすぅっと入ってくる。美羽さんは言葉を続ける。「久実ちゃんがね、手術するために日本にいない時に……。さっきも言ったけど、私、大くんと喧嘩しちゃって赤坂さんに相談に乗ってもらったことがあったの。その時から、久実ちゃんのことを聞かせてもらっていたの。赤坂さんは心底久実ちゃんを好きなんだと思うよ」必死で私をつかまえてくれる。赤坂さんの気持ちだろう。痛いほどわかるのだ。なのに勇気がない。私は、意気地なしだ。でも、このままじゃいけないと思った。勇気を出さなければ前に進めないと心が定まった。
楽しく会話をしながら食事していた。食べ終えると、大樹さんは赤坂さんを連れて奥の部屋に行ってしまう。美羽さんが紅茶とクッキーを出してくれた。二人並んでソファーに座る。部屋にはゆったりとした音楽が流れていた。自然と気持ちがリラックスする。しばらく、他愛のない話をしていた。「赤ちゃんがいるの」お腹に手を添えて微笑んでいる美羽さん。まるで天使のようだ。「安定期になるまでまだ秘密にしてね」「はい……。あの、体調大丈夫ですか?」「うん。妊婦生活を楽しんでるの。過去にできた赤ちゃんが帰ってきた気がする」美羽さんは、過去の話をいろいろと聞かせてくれた。辛いことを乗り越えた二人だからこそ、今があるのだと思う。気さくで優しくてふんわりとしていて本当にいい人だ。紫藤さんは美羽さんを心から愛する理由がわかる気がする。私は心をすっかり開いていた。「赤坂さんのこと……好きじゃないの?」「え?」突然の質問に動揺しつつ、マグカップに口をつけた。「いい人だよね、赤坂さん。きついことも言うけど正しいから説得力もあるし」「……」「実は 夫と喧嘩したことがあってその時に説得してくれたのも 赤坂さんだったの」「 そうだったんですね」「二人は……記念日とかないの?」「記念日なんて、付き合ったりはしていないので」「はじめてあった日とか……。何年も前だから覚えてないよね」ごめんと言いながらくすっと笑う美羽さん。初めて赤坂さんに会った日のこと――。子どもだったのに鮮明に記憶が残っている。まさか、あの時は恋をしてしまうとは思わなかった。こんなにも、胸が苦しくなるほどに赤坂さんを愛している。「ねえ、果物言葉って、知ってる?」「くだものことば? 聞いたことないです……」「誕生花や花言葉みたいなものなの。果物言葉は、時期や外観のイメージ・味・性質をもとに作ったもので……。果物屋の仲間達が作ったんだって」「はぁ」美羽さんは突然何を言い出すのだろう。ぽかんとした表情を浮かべた。「あはは、ごめん。私フルーツメーカーで働いていたの。なにかあると果物言葉を見たりしてさ。基本は誕生日で見るんだろうけど……記念日とかで調べて見ると以外に面白いの」「そうなんですか……」「うん。大くんと付き合った日は十一月三日でね、誕生果は、りんご。相思相愛と書かれていて……。会わな
タクシーで向かうことになったが、堂々と二人で行くことが出来ないので別々に行く。大スターであることを忘れそうになるが、こういう時は痛感する。二人で堂々と出掛けられないのだ。……切ないな……。美羽さんは大樹さんと結婚するまでどうしていたのだろう。途中で手ぶらなのは申し訳ないと思いタクシーを降りた。デパートでお菓子を買うと、すぐに違うタクシーを拾って向かった。教えられた住所にあったのは、大きくて立派なマンションだった。おそるおそるチャイムを押す。『はい。あ、久実ちゃん。どーぞ』美羽さんの声が聞こえるとオートロックが開いた。どのエレベーターで行けばいいか、入口の地図を確認する。最上階に住んでいる大樹さん夫妻。さすがだなーと感心してしまう。エレベーターは上がっていくのがとても早かった。降りるとすぐにドアがあって、開けて待っていたのは美羽さんだった。「いらっしゃい」微笑まれると、つられて笑ってしまう。「突然、お邪魔してすみません。これ……つまらないものですが」「気を使わないで。さぁどうぞ」中に入ると広いリビングが目に入った。窓が大きくて太陽の日差しが注がれている。赤坂さんはソファーに座っていて、大樹さんは私に気がつくと近づいてきた。「ようこそ」「お邪魔します」「これ、頂いちゃったの」美羽さんが大樹さんに言う。「ありがとう。気を使わないでいいのに」美羽さんと同じことを言われた。さすが夫婦だなって思う。赤坂さんも近づいてきた。「遅いから心配しただろーが」「赤坂さん。ごめんなさい」「一言言えばいいのに」一人で不安だったから、赤坂さんに会えて安心する。「さぁランチにしましょう」テーブルにはご馳走が並んでいた。促されて座る。私と赤坂さんは隣に座った。「いただきます」「口に合うといいけど」まずはパスタを食べてみた。トマトソースがとっても美味しい。「美味しいです。美羽さん料理上手なんですね」「とんでもない。大くんと出会った頃はカレーライスすら作れなかったんだよ」「そう。困った子だったんだ」見つめ合って微笑む二人がとても羨ましい。いいなぁ。私も赤坂さんとこうやって過ごせたら幸せだろうなぁ。
「妹が置いていった服ならあるけど。サイズ合うかな」「勝手に借りていいのかな?」「心配なら聞いてやるか」スマホで電話をはじめる。「あ、舞? 久実に服貸していい?」『えー! 家にいるの? 泊まったってことは、えーなに? 付き合ってるとか~?』ボリュームが大きくて話している内容が聞こえてしまう。「付き合ってくれないけど、まぁ……お友達以上だよ。じゃあな」お友達以上だなんて、わざとらしい口調で言った赤坂さんは、得意げな顔をしている。「……じゃあ、お借りするね」黒のニットワンピース。着てみるとスカートが短めだった。ひざ上丈はあまり着たことがないから恥ずかしい……。着替えている様子をソファーに座って見ている。「見ないで」「部屋、狭いから仕方がないだろう」「芸能人でお金もあるんだから引っ越ししたらいいじゃない」「結婚する時……だな」その言葉にドキッとしたが、平然を装った。私と……ということじゃない。一般的なことを言っているのだ。メイクを済ませると赤坂さんは立ち上がって近づいてくる。見下ろされると顔が熱くなった。「可愛い。またやりたくなる……」両頬を押さえつけたと思ったら、キスをされる。吸いつかれるような激しさ。顔が離れる。赤坂さんの唇に色がうつってしまった。「久実……愛してる」……ついつい私もって言いそうになった。「せっかく 口紅塗ったのに汚れちゃったじゃないですか」 私はティッシュで彼の唇を拭った。 すると 私の手首をつかんで動きを止めてまた さらに深くキスをしてきた。「……ちょっ……んっ」「久実、好きって言えよ」「……時間だから行かなきゃ」
久実sideふんわりとした意識の中、目を覚ますとまだ朝方だった。今日は休みだからゆっくり眠っていたい。布団が気持ちよくてまどろんでいると、肌寒い気がした。裸のままで眠っている!そうだった……。また、赤坂さんに抱かれてしまったのだ。逃げればいいのに……逃げられなかった。私の中で赤坂さんを消そうと何度も思ったけど、そんなこと無理なのかもしれない。すやすや眠っている赤坂さんを見届けて、ベッドから抜けようとするとギュッとつかまれた。「どこ行くつもりだ」「帰る」「………もう少しだけ。いいだろ」あまりにも切ない声で言うから、抵抗できずに黙ってしまう。強引なことを言ったり、無理矢理色々したりするのに、どうして私は赤坂さんのことがこんなにも好きなのだろう……。もう少しだけ、赤坂さんの腕の中に黙って過ごすことにした。太陽がすっかり昇り切った頃、ふたたび目が覚めた。隣に赤坂さんはいない。どこに行ってしまったのだろう。自分のスマホを見るとお母さんから着信が入っていた。「……ああ、心配させちゃった……」メールを打つ。『友達と呑みに行くことになって、そのまま泊まっちゃった』メッセージを送っておいた。家に帰ったら何を言われるだろう……。恐ろしい。「おう、起きてたのか」赤坂さんはシャワーを浴びていたらしい。上半身裸でタオルを首にかけたスタイルでこちらに向かってきた。あれ……昨日は一人じゃ入れないって言ってたのに。なんだ、一人で入れるじゃない。強引というか、甘え上手というのか。私はついつい赤坂さんに流されてしまう。そんな赤坂さんのことが好きなのだけど、このままじゃいけないと反省した。「今日、休みだろ?」「……うん」「じゃあ、大樹の家行こう」「は?」唐突すぎる提案に驚いてしまう。「暇だったらおいでって連絡来たんだ。美羽ちゃんも久実に会いたがってるようだぞ」美羽さんの名前を出されたら断りづらくなる。優しい顔でおいでと言ってくれたからだ。「でも……服とかそのままだし……」「そこら辺で買ってくればいいだろ」「そんな無駄遣いだよ」まだベッドの上にいる私の隣に腰をかけた。そして自然と肩に手を回してくる。「ちょっと……近づかないで」「なんで?」答えに困ってうつむくと赤坂さんは立ち上がってタンスを開けた。